よつばせいとMacbook Air M1
彼のところに依頼が来たのは、クリスマスも近くなった12月初旬のことだった。
「なんとかしてビット・バンダラーたちの手がかりをつかみたい。彼らは仮想通貨のビットコインを元大統領たちから巻き上げた。野放しにしておくと、国家の体面に科関わりかねない」
苦渋に満ちた表情で、局長は彼に話しかけた。実は彼は窓際族であり、全く期待されていない。
しかし毎度のこととは言え、アカデミー賞並みの演技力である。よつばせいも慣れているものの、つい演技に引き込まれしまう。
「一つ質問して良いですか」
「なにかね、よつば君」
予想外のリアクションに、局長は驚いたように問い返した。
「手がかりをつかみたいというお気持ちは理解できました。ところでビット・バンダラー、捕まえてしまっても構わんですかね」
沈黙が二人の間を支配した。30秒は経過した頃、局長は口を開いた。
「ああ、構わない。思う存分にやってくれ」
「承知しました。では精一杯、ご期待に応えるとしましょう」
そういうと、彼は10年以上も使い込んでいるMacbook Late 2008ノートパソコンを抱え、自宅へと帰って行ったのだった。
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「で、父ちゃんとしては、どうやって悪名高いビット・バンダラーたちを捕まえるつもりなの」
そう尋ねたのは、娘のよつばみかんである。彼女と父親との付き合いは、生まれた時からである。勝算なしに発言することがないことは、今まで身をもって経験して来た。
「たとえ我が子といえども、それは内緒だ。ただし首尾よく逮捕まで行ければ、めでたく最新機種のMacbook Air M1ノートパソコンを手に入れることが出来る。ここが踏ん張りどころだ」
実はよつばせいは、しばらく前までMacbook Air 2011ノートパソコンを使用していた。しかし訳あってキーボードの幾つかが使えなくなってしまった。それでMacbook Late 2008を持ち歩いている。2.04kgという重量は、今となっては少々重過ぎる。
しかしどうやら、マシン性能的には十分らしい。彼は書斎に引きこもると、さっそくノートパソコンを机の上に広げた。そしてお馴染みのコマンド操作画面ではなく、Webブラウザを起動した。
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事件が解決したのは、それから一か月ほどした後のことだった。その成果のため、よつばせいは見事にMacbook Air M1を手に入れることに成功した。
仕事場では、局長が賛辞を惜しまなかった。どうやらさすがの彼も、本当に逮捕まで行けるとは想像していなかったらしい。
「一か月ほどかかったことは残念だが、手がかりどころではなくて逮捕できたのだから帳尻は合う。それにしてもどうやって捕まえることが出来たのか、ぜひ知りたいところだ。まさか君自身がビット・バンダラーの一員になったという訳ではないだろうね」
たしかによつばせいの腕をもってすれば、ビット・バンダラーの中に潜り込むことが出来たかもしれない。しかし彼は、あっさりと否定した。
「いえ、一員にはなっていません。ネットでメンバーの一員となっても、相手のニックネームなどが分かるだけです。実在の住所や本名は分かりませんから」
たしかに言われてみると、その通りだ。局長とて昔はスゴ腕で知られた調査員だった。一体どうやって足跡を辿ることが出来たか、大いに気になるらしい。
「そうだろうな。あとは君から上がって来るレポートを楽しみにさせて頂くことにしよう。ともかく、おつかれさん」
そういうと局長は、足取り強くプレス発表の会場へと向かったのだった。
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「で、いったい父ちゃんはどうやってビット・バンダラーを追いかけることが出来たの?」
今回ばかりはさっぱり分からないといった風情で、みかんは尋ねた。彼女も父親からパソコンを使う手ほどきは受けたものの、さっぱり見当が付かなかった。
「お前も局長と同じだな。父ちゃんが誰かを追いかけるほど、マメな性格だと思うか?」
「いや、思えない」
彼女はキッパリと迷いなく即答した。
「でも、追いかけないで捕まえるなんて、魔法のような方法があるの?」
「もちろんあるさ」
よつばせいは、アッサリと答えた。そしてしばらく考え込んだ後に、口を開いた。
「良い機会だ。追いかけないで捕まえる方法を考えてみようか」
みかんの眉間には、はっきりとした皺が寄った。本当にこの父親は情け容赦がない。しかし頑張って何かしら言わないと、晩飯抜きの刑になりかねない。
「ええと、追いかけないのに、捕まえることが出来た。ビット・バンダラーたちは追いかけずに放置していたということ?」
せめてヒントを貰おうとして、彼女は尋ねた。
「ご名答。私はビット・バンダラーたちはおいかけていないよ」
「でも、どこの誰とも分からない匿名集団でしょう。だったら警察の手配写真のようには行かないわよね」
「うむ、その通り」
即答である。しかしその分だけというか、彼女には訳が分からなくなった。
「追いかけていない。でも手配写真もない。それなのに捕まえることが出来る。うーん、いったいどうやるのかしら」
その言葉を聞いて、よつばせいはニッコリと笑った。
「うん、いいぞ。その調子だ。物事というのは、抽象化すると、問題の解き方が分かって来ることがある」
まるでトンチを出されているようだ。しかし彼女としては、とことん付き合うしかない。
「抽象化ねえ」
さすがに少し難し過ぎたと思い至ったようだ。よつばせいは、ヒントを出した。
「抽象化が難しければ、魚に喩えても良いかな」
「魚?」
「そう、魚だ」
なんだか、ますます分からなくなって来る。しかしアッサリと諦めると、いつもの罵声が待っている。彼女は必死で、灰色の脳細胞をフル回転させた。
「魚・・・ 魚を捕まえるには、追いかけない場合、網で捕まえるわね」
彼女には、ピンと来るものがあったようだ。
「そうか、ビット・バンダラーたちも、網で捕まえたようなものね。何かしら条件を与えて、それを満たすものを探したという訳かしら」
ブツブツと、彼女は考え始めた。
「いいぞ、その調子だ。どちらかというと網で捕まえたというのに近いけれども、釣り竿も使ったと言えるかもしれない」
「???」
謎である。釣り竿と網を使うというのは、一体どういうことだろうか。
「すまん、少し喩えが良くなかったかな。釣り竿というか、釣り餌がポイントだ」
なるほど、実は考えるポイントは二つあるらしい。二つ・・・
「そうか、仮想通貨のビットコインを釣り餌として使った訳ね」
「正解!」
「でも・・・」
再び彼女は考え込んだ。仮想通貨のビットコインは、誰のものだとか、通し番号といった仕掛けはない。お札ではなくて、「コイン」なのだ。
「うーん・・・」
どうやら父親としては満足したらしい。よつばせいは、種明かしを始めた。
「そこまで考えることが出来れば良いだろう。そう、今回はビットコインを釣り餌として使ったのさ」
彼は続けた。
「ただしビットコインには通し番号など存在しない。だから通し番号の代わりに、取扱金額を変な数字にして識別できるようにしたんだ。具体的には1,143コルだ」
コルとは、ドルのような貨幣単位である。たしかに1,143ドルという取引は多くないだろう。よつばせいは、得意げに話を続けた。
「1,143コルの取引は限られる。そして仮想通貨は、仮想通貨に過ぎない。必ずどこかで現金と交換する必要がある。そこで世界中の主要なビットコイン交換所に、1,143コルの取引があったら連絡するように依頼したんだ。そして後は、どこかから連絡が来るのを待っていただけさ。連絡が来たら、政府の権限において身元を確認させて貰えば良い」
なるほど。よつばせいは政府関係者である。たしかに依頼されれば、コイン交換所は協力するだろう。だから交換所と連絡を取るため、今回はWebブラウザを使ったらしい。
「でも父ちゃん、もしも交換所でなくて、別な場所でビットコインを交換されていたら、網を張っても無駄だったんじゃない?」
「それは確かにそうだ。もしも1,143コルと別な数値のコルを合わせて、一緒に交換所へ持ち込まれたら危なかった。だから一段落して1,143コルだけを換金したくなるように、支払いタイミングをずらしたという訳だ」
なんだか相当運が良かったらしい。しかし運が良かったのは、彼女も同じである。父親からMacbook Air M1ノートパソコンを掠め取ると、逃げるように書斎から飛び出した。
「なるほど、それじゃこのMacbook Air M1は貰って行くわね。じゃあね」
どうやら網を張られていたのは、ビット・バンダラーたちだけではないらしい。よつばせいは今更にしてMacbook Air M1を父親から奪取すべく、網を張られていたことに気が付いた。
「まあ、いいさ。さっそく次の事件がやって来た。早いところ解決して、もう一台Macbook Air M1を手に入れることにしよう」
そうつぶやくと、彼は再び旧式のMacbook Late 2008ノートパソコンに向かうのだった。
何しろ事件は世界の各地で、次から次へと生じている。そして対抗できる人材は、あまりにも少ない。
「ファルコンもサード・アイから提供された特殊カスタマイズ高性能レッツノートを使用していた。あれは折原マヤに電子レンジでチンされてしまったが、たしかに性能の高いマシンは必要だ。あの子にも、いつの日かMacbook Air M1ノートパソコンが必要となる日が来る出ろう・・・」
彼は彼女が、いつの日か世界を救うことになるとは、その時はまだ気が付いていなかった。
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記事作成:よつばせい