[湘南日記] 友だちがギックリ腰などで戦線離脱する状況で、父ちゃんも力尽きて倒れる

某月某日、友だちからメールが仲間内へ展開されて来た。
「ギックリ腰」という題名である。
ちーん、お気の毒。
早く回復することを祈ります。

ところでこれ、別な友だちから、調子を悪くして医者へ行ったとのメールを受け取った翌日のメールである。
うーん、少しずつ少しずつ、お達者クラブと化しつつあるような気がする。

かくいう僕はと言うと、腰の調子は回復しつつあるものの、昨日力尽きて倒れてしまった。
残念ながら、「若さ」に懐かしさを感じてしまう年頃になってしまった。

ちなみに腰の調子を悪くしたというのは、ギックリ腰ではない。
どういう訳か、僕は今まで一度もギックリ腰を経験したことがない。
しかし加齢のせいなのか、それとも座り過ぎのせいなのか分からないけれども、いつも腰に相当な痛みが走り続けるようになってしまった。動くことに関しては支障はないけれども、いつも痛みを抱えるというのは嬉しいことではない。

なお病理医のヤンデル先生の場合は、腰痛に悩まされるようになった時、立位体前屈したらば治ったとのことである。
もしかしたら僕も彼と同じかもしれないと思って試してみたけれども、ほんの少しだけ楽になった程度だ。やはり適当な思い付きによる行動では、問題を解決するのは難しい。
ちゃんと専門家に診察して貰うことも、一時期は考えた。

(そういえば一年前に腰痛に悩まされた時期があったけれども、その時は『運動し過ぎ』が原因だった。毎日1万歩以上歩き、さらに百階以上の段数を移動するようにしていた時期のことだった。献血で尿酸値が高かったので運動を控えてみたら、たちどころに腰痛は治まった)

なお「一時期は専門家による診察も考えた」と書いているのは、一か月前から少しずつ状況は好転して、今では殆ど問題なくなってしまったからだ。
今回は子供が使わなくなったイスを徴発することによって、問題は無事に解決した。
めでたし、めでたし。

実は二年前に在宅勤務を始めた時にも腰痛が発生し、その時もイスを代えることによって痛みを退治したことがある。
ただし今回は椅子変更も通用せず、最後は100パーセントの自然ゴム製とやらのクッションを敷いてみたら、日を追うごとに、腰痛が治まっていった。

ふとしたキッカケで、久しぶりに二日連続して職場で仕事した時があって、その時には随分と楽になるような気がした。それで「もしかしたら職場の椅子と同じようなセッティングにしたら良いんじゃないか?」と試してみたら、「ビンゴっ!」という訳である。

(次の画像のように、クッションが動かないように紐で固定したのが工夫ポイントだ)

本当に一件落着して何よりだった。
そうでなければ今回は、そもそも「力尽きて倒れる」ことさえ出来なかった。

さてそれでようやく今日の本題に突入する訳だけれども、実は我が家のお嬢様、宿泊型の英語研修というイベントに恵まれた。
前回の記事で報告したと思うけれども、帰国子女と同じ最高難易度のクラスとなってしまった。

それまでは、ちみちみと地道にやっていたけれども、さすがに最高難易度のクラスに入れられてしまうとは想定していなかった。そこで付け焼刃に過ぎないにせよ、英語研修前に新基本英文700選を一周は終わらせようと頑張ったのだ。

700選は自分の英語学習を通して、大学受験までに挑戦してみるのが良さそうに感じていた。しかしさすがに、中学二年生というのは早過ぎる。
指導を受ける側も大変だけれも、指導する側も大変だ。
そもそも僕は英語という分野では、指導者としての素質はおろか、実践者としての素質も持ちあわせていない。

英語とは全く関係ない資質だけれども、「往生際が悪く、倒れるまで前へ突き進む執念」だけが、僕の英語学習における唯一の取柄だと言える。
いや、自分が向いていないことに多大な時間を費やしてしまったのだから、これも取柄では無くて “欠点” である。多くの知人たちと同じように、ほどほどの地点で諦めてしまうべきだったのだ。

ハンター&ハンターというマンガに登場するヒソカという人物に言わせれば、まさに「メモリーの無駄遣い」である。それよりも三文小説でも書いていた方が、よっぽど人生を有意義に過ごせたと反省している。

さて自分のことはさておき、今回のテーマは我が家のお嬢様である。
残念ながら僕と同じく、英語学習に役立つような才能は持ち合わせていない。それに会社に就職した後で、会社員生活にブチ切れて英語学習へ突進してしまった僕とは違って、英語学習する動機も持ち合わせていない。
ゲームなどに取り組む様子を見ると、父親譲りの「執念」は十分に持っているようだけれども。

しかし彼女の場合、僕のような「落ちこぼれで惨めな幼少期」というコンプレックスは持っていない。だから、よっぽどのことがない限り、「執念」という能力は発動しない。
今回も新基本英文700選を始めた時は、半ば放心状態だった。

白紙の方が吸収力が上がるというケースもあるけれども、放心状態では吸収力は上がらない。
だから中学二年生向けに “親切で分かりやすい説明” をすることに加えて、基本英文をゲーム風な表現へ修正する工夫をやってみた。

これは確かに子供に受けたらしい。
十分に睡眠をとって集中力も余裕ある状態の時は、笑いながら英文を読み上げてくれた。中学二年生の記憶力であれば、一回だけでも「そこそこ」は身に付いてくれた… と、父親としては期待している。

ただし先ほど告白したように、僕に英語の才能はない。それに最近は英語を使う機会も減り、せっかく鍛えた英語力も錆びついてしまっている。
そういった状態にも関わらず、英語脳に加えてストーリー構想脳までも、いっきに数時間も連続稼働させたのだ。
これが人工知能に使用されるGPU (Graphic Processing Unit) だったらば、あまりの長時間稼働による発熱で溶けてしまいかねないところだった。

いや… 僕にしても、加齢によってシワが減ってしまった「灰色の脳細胞」では、さすがに無理があった。それで子供が根を上げるよりも早く、僕の方が限界に達してしまった。
「父ちゃん、しっかりしてー」という応援が飛んで来た。
一体なにが僕を、ここまで駆り立てたのかは分からない。それに教える方が応援されるって、一体どんな状況なんだ?

もしかしたら、これが「愛」というものだろうか。
ただし僕は “北斗の拳” に登場した長兄ラオウであり、スターウォーズのダースベイダー卿である。そういう者が愛に気づくことがあれば、それはフラグが立った時に限られる。
ともかく僕は運動による気分転換も無くなり、ひたすら英語指導を続ける時間を過ごした。

そうそう、僕がやっていたのは新基本英文700選で英語指導するだけではない。
英語研修で飛び交うであろう高度な英会話に慣れさせるため、ゲームの劇場映画版の英語バージョンを探したり、ディベート用の例文集めも並行して頑張った。

それもあって692英文あたりで僕の方が限界を迎えてしまい、最後はよれよれの姿になって、ようやく700選を一周したのだった。
なんだか箱根駅伝で稀に見かけるような光景である。
「刀折れ、矢つきる」というのは、このような場面に使う表現なのかもしれない。

あとは今回の特訓が、少しで実を結んでくれることを祈るばかりだ。
なお実は僕自身も、基本英文700選は初めての経験だったりする。残念ながら、一つだけ理解しきれない英文が存在した。

なんでそんな代物を使うことを考えたのかというと、英語を使いこなすには「自然と出て来る英文」の重要性を痛感しただからだ。
どういう訳か、僕の手元には二つの基本英文700選が存在している。実は超優秀な兄弟が、基本英文700選をやったことがあるらしいのだ。

さてそんな訳で、ともかく英語研修前に最低目標だった “一周目” は完了した。
そして一周目が終わってから小一時したら、なんとか起き上がることが出来るようになり、ふらつく足取りで運動日課も完了させた。
(ここら辺が、僕の僕たる所以なのかもしれない)

こうして繰り返しになるけれども、サジ… ではなくて、サイは投げられた。
“I did it! I’ve done it!” と叫びたいところだ。
(それにしても、なんで子供でなくて僕がここまで熱血するのだろうか。何かが間違っているような気が… いや、親というのは、みんな「そんなもの」なのかもしれない)

ともかく話が長くなってしまったけれども、父ちゃんの熱血度だけは、歳を食っても不変なのだった。… 話が長くなってしまったのは、年寄りになった証かもしれないけれども。

それでは今回は、この辺で。ではまた。

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記事作成:小野谷静