[湘南日記] とある親子の、英語課題を頑張った後に待っていた悲劇
某月某日、僕は子供の宿題を手伝うことになった。
子供が夏休みに続いて、冬休みも英語の課題図書を宿題に出された。
特に感想文を書くといったことは必要は無いけれども、冬休み休み明けの実力テストの試験範囲になっている。
前回は英文法がズタズタだったけれども、課題図書に関する部分は高得点を取れて助かった。
だから子供としては、真面目に課題図書に取り組む必要があった。
「父ちゃん、手伝ってくれ」
そんな子供から依頼があったのは、元旦のことだった。悔しそうに、僕へ頼み込んで来た。
「頑張ってみようと思ったけれども、自分には無理みたいだ」
「わかった」
僕は即座に頷いた。
今まではリビングで宿題に取り組む様子を、近くで見守ることだけしか要望されていなかった。
しかし時折チラっと様子を伺っていたのだけれども、課題図書は格段に難しいらしい雰囲気が伝わって来ていた。
何やら難しい顔つきになり、電子辞書を引くことも多かったけれども、あまり読み進まないようなのだ。
これは止むを得ないことだろう。
なにしろ童話といっても、英語ネイティブの子供たちが読む本だ。
高校三年生でも苦戦する関係代名詞、関係副詞、倒置、省略などのオンパレードだ。
夏休みの課題図書に比べると圧倒的に文章量が少ないとはいえ、平凡な中学校二年生には荷が重い。
それに文章が短い分だけ、文章の密度も濃くなる。
そりゃまあ、署学者が二三日で読めるような代物ではないのだ。
元旦は頑張って、何とか前半を読み進めた。
しかし “本を読む時に良くある経験(あるある)” だけれども、徐々についていけなくなってしまったらしい。
文章を正確に理解できなければ、そのようになってしまうだろう。
もちろんインスタントお吸い物の粉末を豆類にかけて栄養摂取しても、それくらいでは全く英文読解への影響は生じなかった。
1月2日は僕が英文を読み上げて、文章構造や内容を解説する方式で読み進めた。
さすがに童話とは言っても全文を朗読&解説するのだから時間を要したけれども1月3日には無事完了した。
僕のような英語親?がいない家庭には羨ましく見えるかもしれないけれども、仕方ないだろう。
どんなに頑張っても、勉強は結果が全てだ。
気力で英文読解できれば、誰も英語学習で苦労しない。
僕のおかげで、子供は a や the を使い分ける理由を知った。欧米ではサンタクロースは力強くて頼もしい存在だということも分かった。
僕も自分の貴重な時間を、英語指導に投入した甲斐はあったというものだ。
正月にクリスマスだから “宿題が遅れた感” がそこはかとなく漂うけれども、これはまあ止むを得まい。
ソリやトナカイ…
おっと、そういえば課題図書のタイトルや概要を紹介していなかった。
The Polar Expressというタイトルだ。
絵本の表紙を見ると、「ロードエルメロイ二世の事件簿」の魔眼蒐集列車みたいだ。
と、ここまで来て、今回の話のオチが分かってしまった人もいるかもしれない。
そうなのだ。
絵本のタイトルは “The Polar Express” なのである。そしてpolarとあるように、北極が舞台となっている。
北極急行…
僕もこのブログ記事を書くために絵本をAmazonで検索して知ったのだけれども、この本には日本語の翻訳版が存在したのだ。
タイトルは “北極号” で、村上春樹が翻訳している。
それだけじゃない。
2004年頃には、なんと映画化されていたのだ。フルCGアニメーション映画だけれども、トム・ハンクスも声優として参加している。
ちなみに横浜市では、横浜市立図書館として17冊も蔵書している。住まいのある市町村では3冊蔵書しているし、人気のある童話らしい。
たしかに生き生きとした臨場感のある描写やストーリー展開は見事であり、僕の解説を聞いた子供も感動していた。
(エンジニアが淡々と解説しても感動するのだから、相当な出来栄えと考えても良いだろう)
いやあ… 参った。
夏休みの課題図書はRoald Dahl著のThe Magic Fingerで、映画化はおろか翻訳本も存在しなかった。
Roald Dahlというとジョニーディップも出演する “チャーリーとチョコレート工場の秘密” が有名だけれども、The Magic FingerはGraded Readerや解説本も出版されていない。
ネットの海をググっても、あらすじを紹介したページも存在しない。
夏休みの時はテッキリ学校教師陣が、苦労して日本語で情報提供されていない本を選択しているのかと思っていた。どうやらこれは、僕の完全な誤解だったらしい。
冬休みのThe Polar Expressは、「北極号」という翻訳本があれば十分に役立ってくれることだろう。
もちろん僕のような存在も不要 ……
そうなのだ。
僕はヒマを持て余しているということは全くない。
むしろ一般的な父親以上に忙しい。
そういう状況だから、本来であれば翻訳本に任せるのがベストだったのだ。オマケに、どこの市区町村にも蔵書されていると言っても過言ではない。
わざわざ翻訳本を購入する必要さえない。
我が家の子供に対しても、北極号を借用して手渡せば「ミッション・コンプリート(任務完了)」だったのだ。
子供はどちらでも構わないだろうけれども、僕としては貴重な時間を浪費してしまった訳である。
(子供にしても父親の解説を一方的に聞くのではなく、翻訳本を参照しながら読むのが一番だっただろう)
「…….」
うーん娘よ、どうして君は翻訳本の存在に気がつかなかったのだ? 友だちは誰も図書館から翻訳本を借用しようとは考えなかったのか?
(もちろん僕としても、今になって北極号の存在を知ったのは大失態だけれども)
と、いう次第で、夏休みは子供が課題図書の存在を忘れるという悲劇があったけれども、今回は「翻訳本の存在に気がつかない」という悲劇が生じてしまったという訳である。
おまけに英語の論文や雑誌を仕事で読んでいる僕には、課題図書ていどの英語は勉強にも値しない。
日本語や英語は関係なく、ともかく良質の絵本を読んで楽しんだというのが、唯一の成果だろうか。
そんな訳で2022年も、「クリスマスの悲劇」は生じてしまったという訳だ。
人生というのは、幾つになっても予想外のことが待ち受けているらしい。
それでは今回は、この辺で。ではまた。
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記事作成:小野谷静